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宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、寺岡、増田一正) 宇和島市立図書館で南予時事新聞閲覧。今日は記事の写真撮りに力を注ぐ。増田氏には昭和7年の記事をチェックしてもらう。記事の写真撮りには思いのほか時間がかかる。 |
宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、増田一正) 宇和島市立図書館で昭和6年の南予時事新聞閲覧。この年は満州事変の記事が大きく取り上げられている。内海村はイワシが豊漁で景気がいいようだ。 |
家串の浅野藤吉郎氏より聞き取り調査(織田、寺岡) たまたまDE・あ・い・21に来ていた文化財保護審議委員の浅野藤吉郎氏を見つけて家串の昔のことについて聞く。特に夜這いの話は面白い。 |
網代の浦和家魚類製造家屋について調査(織田、寺岡、教育委員会次長金田幸一) 津島町教育委員会を通じて文部科学省の専門家が浦和魚類製造家屋の調査にやってきたので立ち会う。網代の大敷貞芳氏に魚類製造家屋について詳しく話しを聞いた。国の専門家の人は残念なことにあまり関心がないように見受けられた。しかし別に国の偉い人がどう思おうが関係ない。内海村にとって浦和魚類製造家屋は誇りとすべきものには何ら変わりはない。 大敷氏に浦和儀右衛門と浦和平内(盛次兵衛)の墓所に案内された。 |
宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、寺岡、増田一正) 宇和島市立図書館で昭和5、6年の南予時事新聞閲覧。夜這いで罰金40円には笑った。昭和6年はじめは40年ぶりの大雪が南宇和郡であったようだ。このころずっと内海村はイワシが豊漁で景気がいいようだ。 |
宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、寺岡、増田一正) 宇和島市立図書館で昭和5年の南予時事新聞閲覧。1月から臨時職員として村史編纂に関心を持っていた寺岡秀幸を雇ってこき使うことにした。彼は内海村青年団長で、彼のような若い人間に歴史に関心を持ってもらうことが必要だ。今回は新聞記事の写真撮りをさせるために連れてきた。 この年は南予時事新聞主催で南予八景を読者投票で選ぶというイベントが新聞紙上で繰り広げられている。内海村の柏坂が中間報告で1位となっているのには驚きである。もっとも集計方法がきちんとされていなっかったみたいだが……。しかしこんな話は内海村では誰も覚えていないだろう。このとき紙上で柏坂に関する紹介記事がたびたび出ている。最終的には1位になれなかったが、南予十八景になっている。 |
平碆の元村長中尾喜六氏に聞き取り調査(織田、寺岡、DE・あ・い・21所長寿川忠夫) 元村長中尾喜六氏に聞き取り調査。中尾氏は戦後すぐに助役に選任され、昭和50年から2期8年村長を務めた方だ。内海村政の中枢に長いこと携わった生き証人である。中尾氏は明治44年生まれで齢90を越えるが、記憶力は抜群で頭脳の明晰さはいささかも衰えていないことに驚かされる。分村問題に始まって、旧村史発行の逸話や昭和30年代の産業振興、内海診療所の建設や中学校統合問題、水道関係などさまざまな話を聞けた。聞き取り調査は3時間半にも及んだが、まだ聞き足りない。再度聞き取り調査をすべきである。 |
宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、増田一正) 宇和島市立図書館で昭和4年の南予時事新聞閲覧。この年は特に内海村に関係する大きな記事はない。一本松村の疑獄事件が大きく取り上げられている。 |
宇和島市立図書館で南予時事新聞調査(織田、増田一正) 宇和島市立図書館で昭和3年の南予時事新聞閲覧。この年に内海村役場が今の位置に移転している。その前は柏の脇田地区にあった。脇田地区と今の所在地日ノ平地区とで激しい引っ張り合いがあったようだ。今から考えるとたかだか500メートルくらいの移転だが、当時は新聞ネタになるほど大きな問題だったのだろう。(トップページ写真参照) |
内海村文化財保護審議委員会に出席、協力依頼 内海村文化財保護審議委員会に出席、内海村史編纂事業に就いて説明し協力を依頼した。 自然編執筆者に調査員証交付 自然編執筆者用の調査員証を交付する。現地調査に取り掛かるとのこと。自然編には8名の執筆者で取り組んでもらう。どの方も県下で有数の専門家で、自然関係に知識のない我々にとって実に頼もしい方々だ。内海村の今の自然を後世に伝えなければ……。 柏の河野とき子氏より聞き取り調査(織田) 河野とき子氏から柏で寺子屋をしていた河野晋斉について聞く。 |
柏の宮下千鶴子氏に聞き取り調査(織田) 元村長宮下荘造氏の娘である宮下千鶴子氏に聞き取り調査をする。旧柏村庄屋宮下家について聞く。 |
柏の池田熊夫氏に聞き取り調査内海村の学校教育について聞く(織田) 編纂委員でもある池田熊夫氏に学校教育関係の聞き取り調査。特に中学校統合関係について聞く。 |