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会議など編纂室関係 史跡調査など外回り 村外での調査 聞き取り調査


平成15年6月27日
 好岡惣一氏に聞き取り調査(織田、増田一正)
 増田氏が突然来訪。「内海俳句会」の話をして盛り上がる。早速代表者の好岡惣一氏に話を伺い、俳句会員の作品の村史掲載をお願いに行くことになった。
 好岡氏は村議会議長など村政に関わる要職を歴任される傍ら、村文化協会設立に尽力し、自らも俳句を嗜まれる内海村きっての文化人だ。突然の訪問も快く受けていただき、いろいろなお話を伺えた。村史掲載については7月に行われる俳句会に私が出席して趣旨説明をさせていただけることになった。
平成15年6月26日
   観音滝周辺調査(寺岡、島内)
 
DE・あ・い・21にて實藤徹雄氏に「観音滝」の話を聞く。雨上がりで天気がよいので早速写真を撮りに行ってみることにした。
 正午に出発!意気揚々と登りはじめるがすぐに道に迷う。(泣) なんとか道に戻り30分ほど歩くと最初の滝「下の滝」に着いた。頭から水をかぶり気力を取戻す。「下の滝」からは「1の滝」「2の滝」「3の滝」と色々な表情を見せる滝が続く。前日の雨で充分な水量があり、見事な滝を見る事が出来た。(普段は水量が少なく見る事は出来ないらしい) 
 さらに登ると「宮元栄治翁修行の地」「障子ヶウネ」がある。言葉では言表せないほど見事な所だ。(感動) この後また迷子になるがなんとか道に戻り「観音滝」を目指す。20分ほど歩いて「観音滝」に到着。付近には、何に使われていたか分からない廃屋と「旭ヶ瀧観世音」を奉った祠があった。「旭ヶ瀧観世音」は今は盗まれて無い。日が暮れ始めたので帰路につく。2人とも疲れ果て無言で山を降りた。
 足が上がらなくなるほど疲れたがスリルあり感動ありとても良い場所であった。次は、いやがるだろうが織田を連れて登ろうと思う。
 
内海中学校へ協力依頼(織田)
 昨日、内海中学校の成宮先生(村史編纂委員)から、掲示板上で資料テキスト化の申し出があったので、打合せに行く。授業で生徒たちにしてもらうことになった。実に心強い。内海の子供たちと一緒に村史を作り上げるのは楽しいことだ。旧村史を編纂した坂元一洋氏の書いた「わが村の祖先研究」などの資料のテキスト化をお願いした。テキスト化ができたらHPでも公開したい。
平成15年6月17日
 内海村史編纂室HPアップ(寺岡)
 一か月に渡り作成してきた「内海村史編纂室」のホームページがいよいよアップされることになりました。本当は6月1日にアップしたかったのですが、なにぶんマニアック織田の原稿遅れにより延びてしまったのはまことに遺憾です。(怒)
 しかし出来上がったページを見て、内容の濃さには満足しています。まだ、アップしたのは一部だけですが、これから少しずつ内容を充実させていきたいと思います。出来るだけ多くの方々に見ていただいて、意見や要望、内海村史に関わる情報などを寄せていただいたら幸いです。また特に誤りなどの指摘は大いに歓迎します。どうぞよろしくお願いします。(寺岡秀幸)
平成15年6月14日
 三間町毛利家史料研究会に出席(織田)
 菊川の藤田儲三氏と毛利家史料調査会に出席。宇和海中学校の宮本春樹氏に昭和17年坂元達雄著「内海村産業史草案」を見ていただいた。宮本氏は宇和海の漁業史に詳しい方だ。興味深く見ていただき、貴重な資料なのでぜひ活字化をと薦められた。新訂村史の中で検討したい。
 また会の後、藤田氏とともに津島町岩松の一滴文庫を訪ねる。一滴文庫の梶原和秋氏と意見交換。幕末に俳諧集を残している御内村の吉良蘭亭について教えていただいた。吉良蘭亭は家串浦組頭吉良家の分家筋に当たる人で御内村庄屋を勤めた人である。吉良蘭亭の研究について情報交換と協力を約束した。
平成15年6月13日
 津島町教育委員会町史編纂担当室津氏訪問(児島課長、織田)
 津島町の室津浩二氏が訪問、津島町のほうも町史編纂について軌道に乗ったようだ。ただ期間が少ないので大変だろう。もっとも内海村も期間が短くて大変なのだが……。他の町にも同じ仕事に携わる人がいて心強い。室津氏とは拝高神社と懐良親王について情報交換をした。
 宮下千鶴子氏に聞き取り調査(織田、増田一正)
 増田一正氏とともに宮下千鶴子氏を訪ねる。内海村の俳人として昭和15年ごろに「宮下尚子」という人が記されているが、この人物について尋ねる。宮下氏の叔母だそうだ。
平成15年6月11日
 家串若宮神社内部の調査(織田、寺岡)
 家串若宮神社の宮総代前田悟氏に若宮神社を開けてもらい社殿内部を調査。内部は広くここで秋祭りの練物を練習する。奉納物が非常に多い。特に南洋真珠採取にオーストラリアへ出稼ぎへ行っていた人からの奉納物は注目を引く。南洋真珠や大トカゲ・ウミガメの剥製など記念に持ち帰ったものを奉納している。ヤシの実か何かで作った人面はちょっと不気味……。
 古い石造りの手水鉢に「文政五年」という銘を発見。奉納者の名前を探したが土中に半分埋まっている。土木作業経験者の寺岡が少し掘り返したが、コンクリートで固定されていたため全部を読むことが出来なかった。残念……。
平成15年6月10日
 家串地区の史跡について浅野藤吉郎氏に聞き取り調査(織田、寺岡)
 家串地区の史跡について不明な点があったので、家串の文化財保護審議委員浅野藤吉郎氏に聞き取り調査をした。真珠作業で忙しくしていたにもかかわらず、快く受けてくれた。寺山の社はまちがいなく「秋葉神社」だそうだ。五輪墓は「エヘン様」、瓦造りの祠は「明神様」ということだ。