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●石造白牛車観音

 家串地区と平碆地区の山境にある寛政10年(1798年)の創建の社である。詳しい創建にまつわる逸話は残されていない。ただ「白牛車」とは「法華経譬喩品」に「火宅の譬」として、火事の家にいる子供に「外に白い牛に引かれた車がある」といって子供を連れ出したという方便としてあり、その譬を冠する全国的にも珍しい社である。特に石塔は北陸方面や関西方面で多く見られ、四国では今治に2塔あるらしいが、石像は日本でこの1体しかないのではないかといわれている。今後の調査研究が待たれる。
 この「石造白牛車観音」は海の神様で、昔は網が不漁のときに世話役の女性が、漁があるようにとお参りしていたという。今でも旧暦1月18日には参拝する人がいる。
 この社の近くに「うねの松」と呼ばれる大松があり、毎年正月の「念仏の口開け」の日に大わらじを奉納していた。今ではこの大松はなくなっているが、家串地区の反対側の峰にある「竜王様」にも同様のわらじを奉り、家串地区を一跨ぎにできるほどの大男がいると見せかけ、悪病や災厄から地区を守るために今でも奉納されている。



史跡への道
家平トンネルの家串側出口付近の山道を登っていく。 登り道はきついが、頂上付近からの眺めは絶景! 帰りの下り道は楽♪

墓石
白牛車観音の前にある六十六部供養碑 左は明和年間に没した?「浄寒禅定門、明円禅定尼、各霊」、右は「大乗妙典六十六部日本回國供養佛、一天壽心沙彌霊、行者平七」と記されている。

調査風景
祠は鉄骨スレート葺である。 石に刻まれた字を書き写す。
中に大きな石造りの観音像が鎮座している。 水鉢に刻まれた文字を読む。磨滅してなかなか読めない。

石造白牛車観音
観音像。かなり立派なものである。元は着色されていたようだ。 観音像全体。台座に「白牛車」と大きく記されている。 台座の右側面。「寛政十年戊午天二月十五日建焉、紀州塩津浦、功コ主谷川、當浦魚屋儀右衞門」と記されている。 台座の左側面。「銘曰、八千來住無事生事咄哉斯經以石以字合浦還□珠雲山改間觀見龍探潭行應謹誌」と記されている。

その他周辺にある物
明治30年代に成浦(下灘浦)の結出網、岡田惣市から奉納された水鉢。    明治29年に奉納された水鉢。 観音堂建立の寄付者名簿昭和45年に建てられたようだ。 社の横の木に吊るされた大わらじ。もう一つ龍王権現の近くに吊るされている。  
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