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宿毛街道について

 

 




松尾坂へんろ道について
 
 昭和4年、一本松町(現愛南町)〜宿毛間に道路が開通するまで、この峠道は伊予と土佐を結ぶ街道として利用されていました。昔は坂を下ったところにそれぞれ御番所があり、不法越境者を厳しく取り締まっていたそうです。
 また、この峠には2軒の茶屋があり、みち行く人々の休息の場所であったといわれています。寛永15年(1638年)大覚寺門跡 空性法親王は「ひたのぼり、登りてゆけば、目のうちに開けて見ゆる、宿毛松原」と詠み眼下に広がる宿毛湾の絶景をたたえています。



松尾坂口番所跡
 松尾坂は、伊予と土佐を結ぶ重要な街道であったため、その麓にあったこの番所(関所のこと)はすでに長宗我部の戦国末期から設置されていた。
 慶長6年(1601年)山内氏入国後も、この番所は特別に重視され、四国遍路もここと甲浦以外の土佐への出入りは許されなかった。
 そのため多くの旅人でにぎわい、多い日で300人、普通の日で200人の旅人があったと古書に記録されている。この旅人を調べ、不法な出入国者を取り締まったのが番所で、関守は長田氏であり子孫はは今もここに居住している。   大深浦について
松尾坂入口(宿毛市大深浦)
 坂口番所跡を過ぎ、5分ほど歩くと松尾坂入口に到着する。
 ここからは、標高300メートルの松尾峠までの上り坂が続くことになるが、地域の方々が竹の杖を用意してくれていて、自由にお借りすることが出来る。
街道の石畳
この道は重要な街道であったため、雨水で土の流失のおそれのある所には、ところどころこのような石畳がしかれ、路面を整備していました。
松尾坂の街道全体に松並木があったが戦時中、軍部の指示により船の用材にするためすべての並木松が伐採され、その根は掘られて松根油の材料とされた。その彫り跡が街道の各所に残っている。
松尾峠
 伊予と土佐の国境にある標高300メートルのこの峠には、南予と幡多を結ぶ街道があり、幕府の巡見使をはじめとし、旅人や遍路の通行が盛んで 享和元年(1801)の記録に、普通の日で200人、多い日には300人が通ったと記されている。
 国境の石中は、伊予側のものは貞享4年(1687「)の建立で、土佐側のものはその翌年、高知で製作し、下田までは海上を船で、その後は陸上を馬車等で運んだものである。
 昭和4年宿毛トンネルが貫通してからは、この峠を通う者もなくなり、その頃まであった地蔵堂や茶屋も今は跡だけが残っている。
松尾峠 大師堂跡
 ここにあった大師堂には弘法大師が祭られ昭和初期までは建物も残っており、ここを通るお遍路さんは必ず参拝して通ったものである。
 現在が写真のように大師堂が再建されている。

 また、松尾峠には、トイレも建設されている。
 

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